Q: 今年3月の大学院課程修了式で論博代表としてご挨拶された際にご自身を「ダム屋」と称されましたが、これまで最も印象に残ったのはどのダムでしょうか?
A: 初めて現場でいった川治ダム(鬼怒川流域、アーチ式コンクリートダム、昭和58年完成)と工事事務所長をやった宮ケ瀬ダム(相模川支流中津川、重力式コンクリートダム、平成12年完成)の二つですね。川治ダムは25歳くらいの時に行きました。両方とも10年くらい携わりました。
Q: 始めからダムの仕事を希望していたのですか?
A: そうでもないですが「目の前にでかいものを作りたい」という思いはありました。都会の中でごちゃごちゃ仕事をするより山の方がいいなっていうのもあって、ダムに行くのに抵抗はなかったですね。
Q: 現場を経験してどう感じましたか?
A: やっぱり現場やると面白いんです。大変だけど目の前にできたときはやっぱり「おおぉ!」と思いますよ。この感動はものを作るのに非常に大事だと思うんです。土木ってのは自然を相手にするから本当はものすごく難しいですよね。電気製品や自動車みたいに設計図だけあっても作れない。自然と対話しながらその都度考えなきゃならない。専門分野だけじゃなく、幅広い分野の知識も必要です。だけど、それが面白いところで、最近やっと土木工学科が工学部の1号館として存在する意味がわかってきました。
Q: 実際のダム工事で印象に残ったのは?
A: 地質調査で出入りしている専門家が、川治ダムで掘削した現河床から20メートル掘り下げた新鮮な岩盤に頬ずりしたのにはびっくりしました。その人が「この工事がなければ日の目をみないものを見せてもらい幸せだ」と言っているのを聞いて「わー、この人すげえな」って思ったのを覚えています。俺たちこういう貴重なものを相手に仕事するんだってわくわくしましたよ。
それから川を相手に仕事をするから、台風の時なんか水の力のすごさも感じましたね。水で石がごろごろと流されてくるんだけれど、石と石がぶつかって火花が出るんです、水の中でね。(一同、驚き)

Q: 土木工学科に進んだきっかけは?
A: 大学に入った時は土木に行くとは思っていませんでした。ただ、私たちの時は東大闘争があって、早く社会に出たいという思いがありました。土木っていう言葉が社会に出るイメージにぴったり合ったせいかもしれないけれど、当時は学生から人気があって点数も高かったんです。「これはやばいか」ってひやひやしましたよ。(一同、笑)
Q: 大学時代はどんな学生でしたか?同期とは今でも仲が良いのですか?
A: 当時でいう普通の学生でした。麻雀パチンコ少々に体育会系、少林寺拳法に入っていました。土木工学科の同期とは今でも東京で2か月に1回は会います。5年毎には先生もお呼びして一泊で旅行をしています。20年目は宮ケ瀬ダムでみんなが集まってやりました。35年目は八田與一の作ったダムを見に台湾まで行ったこともあるんですよ。
Q: そのダム(台湾・烏山頭ダム、ロックフィルダム、1930年完成)は今でも使われていますよね。
A: 八田與一(明治43年卒)は将来の利用まで考えて作ったんですね。ダムなんて急に作れるわけじゃなくて、自然を相手に長い時間かけて作っていく。川の堤防だって、昔からのものを補強、改良しながら作るんだから積み重ねが大事なことに気づきますね。自分だけが勝手にドーンとやるってわけにいかないところから、歴史の大切さとか興味につながっていく気もします。
それに、簡単には克服できない自然と対峙していくのが結構面白いんですよ。相手がものすごく強いと面白くなる。勝ってばかりでは面白くない。相手が強いからこそ面白い。そんなイメージを土木に持っていますね。自然は私たちが思うよりもずっと複雑ですよ。
また「コンクリートから人へ」と言いますが、コンクリートだって原料は石灰石と石と水、自然から得たものを人間が自然と対峙するために、知恵を使って作り出した。だから、それも自然の一部なんです。そして、今の建物はほとんどコンクリートでできている。
Q: 今年6月から第104代の土木学会会長になられました。どのようなことに取り組みたいですか?
A: 私のような現場育ちが会長になったからには、現場でものを作るということが土木の原点であり、そこに面白さがあることを伝えたいと思います。また、次の世代のために生産現場を良くする提案をしていきたいですね。
Q: 土木を取り巻く空気が変わってきています。自然相手の仕事であることは変わりない中、少子高齢化を迎えてこの世界をどう守って引き継いでいくのかは大きなテーマですよね。
A: そうです。みんな今ある水道や電気が止まったらどうするんだろう、心配しないのかって思うことがあります。利用者も含めて皆で長期的に考えなくてはならない。例えば、山手線の工事は電車の止まる真夜中1時から明け方5時までにやっている。一時的に利用者に我慢してもらって昼間に工事できればもっと安く速くていい工事ができる。利用する側はインフラに対して、サービスのレベルを下げることを許さない雰囲気がありますが、今後はそれも考えるべきだと思っています。これまで現場は縁の下の力持ちのように思われて、厳しい条件での作業を強いられてきたけれど、これからは補修の必要な古い構造物がどんどん増えて、なおかつ夜中に働ける労働者が少なくなります。今後は生産現場のあり方、やり方をを考えないと行き詰ってしまい、インフラの危険性も増します。もっとスマートにやる方法を利用者の意識も含めて考えていかなくてはならない。
土木学会内に立ち上げたワーキンググループでは、次世代に引き継げる生産現場にするために、休日出勤や夜間労働の見直し、そして安全性の向上について一回きちんと踏み込んで、警鐘を鳴らそうと考えています。
Q: 若い世代へのメッセージ
A: この仕事が一番人気である必要はないですよ。今日話したことが大事だと思ってくれる人がいくらかでも入ってくれれば日本という国も安心できる。海外では日本のインフラや、シビルエンジニアなんて言ったらすごいって思われていますよ。今、特に関心があるのはリニア新幹線のプロジェクト。南アルプスにトンネルを掘る挑戦は、日本の土木技術にとっては画期的だと思っています。
次の時代の土木がどうなるのか。若い世代に大いに期待して、今はそのための準備をしています。
災害の多い日本の国土が安定するように「自分がやるぞ」という人が土木にいてほしい。
やっぱり土木は楽しいからってことをいちばん伝えたいですね。
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