東京大学は昭和52年4月12日に百年祭の式典を挙げた。明治10年(1977年)に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学が生まれてから数えてちょうど100年になったからである。このとき、東京大学は法、理、文、医、の4学部から成り、理学部のなかに工学科があった。工学科は最終学年において土木と機械に分けられ、その最初の卒業生が明治11年卒業の石黒五十二、仙台貢、山田善太郎の理学士である。名簿の明治の部の先頭が理学士となっているのはそのためである。
明治18年に、理学部工学科は工芸部へと発展した。翌19年帝国大学令発布とともに東京大学は工部大学校を合併し帝国大学となる。ここで、東京大学工芸学部と工部大学校は帝国大学工科大学となる。工部大学校の前身は、明治6年開設の工部省工学寮であり、明治10年に工部大学校となり、前述の明治19年の合併まで、多くのすぐれた工学士を世に送った。名簿に理学士の項に続いて工学士の項があり、その明治18年卒業生までは工部大学校の卒業であるが、帝国大学工科の前身であるので、ここに記されている。
明治30年に京都帝国大学が開設され、帝国大学は東京大学となる。ついで大正8年帝国大学令の改正に伴い分科大学は学部と改められることになり、爾後東京帝国大学工学部となり、昭和17年には第二工学部の開設とともに、工学部は第一工学部と第二工学部の二学部となった。
第二次大戦後、昭和22年に東京帝国大学は東京大学の名に戻った。第二工学部は昭和26年3月まで卒業生を世に出し、生産技術研究所となり、今日に至る。なお、昭和29年分校卒業生とは、大学制度の切り替えの過渡期に旧第二学部において特別に1クラス教育が行われ、その卒業生を指している。昭和26年第二工学部の廃止によって、昭和27年以後の卒業生は東京大学工学部卒業となっている。なお、旧制度の学生は昭和28年に卒業している。
近年の価値の多様化、土木工学を取り巻く状況を鑑み、昭和62年には教養学部からの進学振り分け部門名を土木工学から社会基盤工学、社会基盤システム計画の2部門に変更し、さらに東京大学における大学院部局化に伴い、平成8年度より大学院工学系研究科社会基盤工学専攻が発足し、今日に至っている。
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