私の学生時代は、試験前勉強と、試験後休み期間に反省の意味で猛勉強し、学期中はそれが続かない学生でした。ですから、不幸にも成績には反映しませんでしたが、それなりに知識欲はあったと思います。しかし、学部4年にもなると、勉強する意味がだんだんわからなくなり、会社ではどんなことをしているのか知りたくなりました。まさか微分方程式や留数の定理、水理学や土質力学を勉強して給料をもらっている訳ではあるまいと。就職の時期がくるまでは、土木でありながらゼネコンの意味も、ましてや鹿島、清水といった大手建設会社の名前すらも知らない、世間知らずも甚だしい馬鹿野郎でした。
今の会社を選んだ理由は、調べてみると海外で仕事をしている会社だったからです。自分には世間を渡ってゆく常識(敬語も知りませんでした)がないから、この際海外へ行ってみたいという、短絡的な動機でした。面接で、担当課長から「海外で一番大切な事はなんだと思うかね?」と聞かれ、「契約だと思います。」などと知ったかぶりで答え、「違う。やっぱり誠意だよ。」と言われました。
入社して与えられた初めての仕事はサウジアラビア向け桟橋の製図で、そのうち設計方法も教えてもらいました。当時は、限界状態設計法を課の全員で勉強しているような頃で、実務をとおして初めて岡村先生の教科書のすばらしさに触れました。理論や思想などがふんだんに説明してあり、しまった!と思ったのも後の祭り。もっと勉強しておくんだったと反省した次第です。
入社後1年して、待望の海外勤務でサウジアラビアの現場に赴任。最初はまた製図担当でしたが、小さいモノでも自分の設計製図したものがその場で出来上がるのを見て驚きました。特に橋については何度計算を見直しても恐かったものです。 |